皆さん こんばんは!
本日は横須賀RCから椿様、新倉様 ようこそお越しいただきました。
椿様後ほど卓話を楽しみにしております。
今日はロータリーらしいお話をしようとロータリーソング「奉仕の理想」について勉強してきました。
例会のときに歌を歌う風習は、1907 年、今から103 年前シカゴRC で始まりました。「親睦」か「奉 仕」かの大論争でぎすぎすしたクラブの雰囲気を和らげようとハリー・ラグラス(5人目の会員)が音 頭をとって歌い出したのが始まりです。当時はロータリーソングなんてまだありませんので、民謡や当 時の流行歌が歌われたそうです。
資料にある4つのロータリーソングは、初めての日本語オリジナルのロータリーソングです。1935 年(昭和10年)5月の第70地区大会(京都)を記念して募集され、当選したのがこの4作品です。
第1 位は「旅は道づれ」。 第一 作歌 杉村廣太郎(東京) 作曲 吉住小三郎(東京) 旅は道づれ世はなさけ なさけは人の為ならず 世は明鏡のやどす影 うつす形を偽らず わがほほえめば 影も笑む 自分が為した善は、福となって帰ってくる、「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」というロー タリー・モットーに通じるような内容の歌詞のように思います。 この「旅は道づれ」は作曲の一部に盗作があったため後に失格となり、第2位の「奉仕の理想」が、第 1位に繰り上げ当選になったそうです。
「奉仕の理想」については、後で申し上げることにして、第3位の歌を見てみましょう。 第三 作歌 田崎 慎治(神戸) 作曲 早川彌左衝門(名古屋)
1 平和を人の世に植え 親愛の心はぐくむ 奉仕こそげにやひとしく 仰ぐなる吾等が理想 ロータリー ロータリー ロータリー 2 諸種の職業の中より 選らばれし我等集いて わが職業の尊きを知り 培はむ奉仕の精神 3 住む国の内外を問わず とる職業の形かわれど むつみつつ扶け励みて ひろめなむ吾等が理想 この歌詞は、現在私たちが理解しているロータリー理念とほとんど重なっているように思います。軍国 主義が盛んになりつつあった当時としては、かなり思い切った平和主義が表明されています。 第4位は、おなじみの「我らの生業」ですから、コメントは省略します。 さて、繰上げ当選して1位になった「奉仕の理想」です。 第二 作歌 前田和一郎(京都) 作曲 萩原 英一(東京) 奉仕の理想に 集いし友よ 御国に捧げむ 我らの業 望むは世界の 久遠の平和 永久に栄えよ 我らのロータリー ロータリー
私は、この歌にずっと違和感を抱いていました。2行目の「御国に捧げん」の「御国」が、ロータリー の思想と相容れないと感じたのです。戦後死語になったような「御国」は使いたくないと思いました。
御国を「地域に捧げん」とか「社会に捧げん」と置き換えてもいいでしょう。
実は、この曲を作詞した京都RCの前田さんの原詩は、「御国に捧げん」ではなく、「世界に捧げん」だ ったのです。当時の村田省蔵さんというガバナーは国粋(こくすい)主義的な考えを持った方だったようで、この 「世界に捧げん」を「御国に捧げん」と変えなければ当選は無効と宣言したので、前田さんは泣く泣く 承諾したのだそうです。前田さんは後に亡くなる前、「もし出来ることなら何時の日にか原詩の『世界 に捧げん』に戻していただければありがたい」と遺言されたそうです。 「御国」という言葉に変えたのは、英語が敵性語とされ、米国由来のロータリーに世間の冷たい目が向 けられようとしていた時代に、ロータリーの組織を守ろうとする苦肉の策だったかも知れません。実 際、この「奉仕の理想」が発表された昭和10年の5年後には日本のロータリークラブは国際ロータリー を脱退し、解散を余儀なくされることになります。 そうしたロータリー苦難の時代を耐え抜いたこの歌の歴史は尊重しなければなりませんが、私たち21 世紀を生きるロータリアンはこの歌の「御国」を、「世界」でも「地域」でも「社会」でも自由に置き 換えて歌ってかまわないと私は思っています。
世界ですね。
みなさんご起立下さい。
今年のRIのテーマを唱和しましょう!
「世界に希望を生み出そう!」
本日もよろしくお願いいたします。

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